写真からできることを

   

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社会人写真部(仮)での活動も結構経ちましたので、これから「ただ撮るだけじゃない写真部の活動」についていろいろ考えていきたいと思っています。最初は趣味同人誌のネタの一環程度のモノだったのですが、最近は写真を通じていろいろな接点に接続する機会が出てきたので…何か活動の布石のようなことができないものかと思うようになりまして。

写真部という名目で活動していますが、本当に写真を撮って公開するだけの活動。SNSで趣味枠でやっていることなので、とりとめもなく写真を撮りまくっているだけなので…何かしら写真データの活用がしたい。純粋に作品公開だけでも普通に活動なのですが、それだけで終わらせたくない…という贅沢を求めるような活動の拡張なのですが。こんなことでも出来る事があるんじゃないか? とか思いつつ、本当はもっといろんな写真が見たいだけなのかもしれません…しかし。

るからには見せたい、もっと魅せる写真を追いたい。それらの作品たちを同好の士とシェアしたい。今はまだSNSで趣味枠で公開している程度ですが、やはり先でオフラインで出来る事に触れていきたい。難しいことだし手間暇もかかるし、時間とお金がいくらあっても足りなくなる分野だけど…やはりそういう世界に少しだけで良いから触れていたい、そんなことを考えながら。

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ネット媒体に不特定多数に向けて公開はしているものの、特になにかしらのアピールを加えている訳でもなく…本当にただ「広げているだけ」の状態の写真部写真。「これでいいのか?」という疑問符からひとつの計画を考えているのですが…実現の可能性については時間やら何やらの都合から未定としか言い切れないのですが、地元で何かしらの写真趣味を媒体にした趣味グループを構築できればいいなって思っています。

ひとつは、過去にやっていた同人活動のフラグにちなんだ「作品公開」というカテゴリに沿った活動の展開。同人誌…という自費出版に手をつけるとそれはもう大変なことになってしまうのですが、何かしらのシェアリング策でもって「写真趣味に限定した交流活動」が出来ないか…と考えています。創作系のイベントで写真にちなんだ同人誌…というのは過去からずっと計画ラインには上がっていた話なのですが、もっと柔軟かつ低予算で出来る事もあるかもしれません。いろいろ考えているところです。

「表現について考える」媒体にできないかどうか

ここに「同人活動」というひとつのフィールドを当ててきたのは、「写真は表現活動」というニュアンスの意味を展開したいという願望があるからです。どんな機材で撮ったどんな写真でも「意図」や「目的」はあるから「表現活動として扱える」という話になるのですが、写真はそういう表現活動の一部ではないか…という理念のもとに何か出来ないか、というのを目下模索中だったりします。それを伝えたいないし残したいと望むから撮っている…というのが趣旨です。

写真部だから一眼レフに限定する…というのもナンセンスだと思っています。実際、スマホで撮った写真が一眼レフを凌駕してしまうショットだったりすることも…昨今では普通に良くある話になってしまっています。機動力や柔軟性という意味ではおおよそ「肌身離さないもっとも身近な写真ツール」となっているわけですし、カメラを構えるより先に狙えるショットを押さえる事が出来る…ということも昨今普通になってきたのかもしれません。…というか、スマホメーカーのカメラへのエネルギー注入量も半端ないので、カメラとして機能しているすべてのツールはアリなんじゃないか? というのもしかりでして。

ツール各種は、あくまで「被写体追尾の選択肢」でしかないのかもしれません。得手不得手というのは確実にあるし、シーンによってツールの出しやすさの是非というのもあるわけですし。

何故、写真趣味者がツールを追い求めるか? という話。「追いかけたい被写体が明確だからこそ、最適なツールを追い求める」というのがありましたが、写真のキモはやはり「被写体」というのは揺るがない話だと思うのです。「待ってくれない瞬間を逃さないため」に高い投資をしている…というと時々呆れられることもありますが、その瞬間に賭しているのが写真趣味者だと思っています。これに伴う迷惑行為について写真趣味者界隈でも結構問題になっているという側面もあるのですが…他者交流でもってそういうところに知識的なリーチを持てないか、というのもオフライン交流の狙いでもあったりしますが。

技術や知識以外にもシェアできるものが

オフライン交流に主軸を置きたがる理由が、いわゆる「温故知新」というわけでして。決定的な一枚を追うために必要なのは機材であり行動力であるのは間違いないのですが、それ以上に「アイデアの引き出し」でもあると考えています。そのショットを狙うために「適切な機材」を「どんな状況に持っていくか」という、いわば白地図に記述を加えていくアイデアのようなもののストックが必要なのではないか…という考え方。「理想値を獲得するための予習」という風に捉えていますが、いかがなものでしょう? これにはやはり個人の見聞だけでは足りないものも多数あるのではないでしょうか?

3人揃えばなんとやら、追いかけていた一枚へのフラグが回収出来るかもしれない情報にありつけるかもしれない…という話は、少々厚かましいような話ではありますが。個人のアンテナ能力では結構限界値が決まってしまっているものでして…時事や風景、催事の情報に至るまで、やはり第三者情報というものは思わぬフラグを立ててくれるものです。シーンの追跡もそうですが、写真への感想やら何やらもあるわけで。

すべてが良好に…という風にはいかないものの、知って損することは知らずにいて損する確率よりもはるかに低いです。

「伝えるもの」としての意義のシェア

シャッターを切る理由は、やはり「琴線に触れる」という瞬間があるからだという結論です。その瞬間に感じたもの…「キレイ」や「美しい」、「かわいい」や「愛おしい」、或いは「不思議」や「懐かしい」かもしれません…が、どれも心のどこかの琴線に触れ、それを少しでも記録したいと思うからだと思う次第です。だからそれは、もっと触れやすい場所に広げて置いた方が良いのかもしれない…というのが、オフライン交流に主軸を置きたがる最も大きな部分だと思っています。言ってみれば、写真趣味は「共有願望の塊」だと思っています。

その結論からすると、ネットでの公開がもっとも共有願望を満たしてくれる…という結論に行き着いてしまうのですが、ネット公開だと「レスポンス」が全然違います。その場に居る人とのやりとりは圧倒的に速度的なレスポンスが違い、なおかつ極めて率直な意見のやりとりにあふれています。それが最良の選択であるかといえばまた別問題なのですが、少なくともそのレスポンスの早さはものすごく刺激指数を高めてくれます。「じっくり考えて書かれたコメント」がどんなに的確な回答だったとしても、その瞬間を共有した隣人のレスポンスとはなかなか一致しないものです。

「瞬間に沿う回答」は必ずしも的確な答えではない確率が高いのですが、瞬間の共有は莫大なエネルギーを授けてくれます。その「瞬間を追う趣味」が写真趣味であり、その「決定的瞬間の共有」はこの趣味界隈に於いては至極の瞬間だと思う次第です。…だって、最高の瞬間を押さえた写真をたくさんのひとに見てもらいたいじゃないですか。それこそが至極のエネルギーだと思っています、底なし沼でもあったりするわけですが…そのロマンの充足に代わるものなどないんじゃないかって。

 

…と、いろいろ切り出してみたものの。現実は時間に追われる状況でして。現実味ある話かどうかはさておきとして、そういう趣味活動のグループはやはり持っておきたいなって思っています。

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