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働き方はこれから変わっていく、というけれど。社会は何一つとして働き方の変革について説明はしてくれないという件については認識していく必要があると考えています。社会の企業体の多くは「人件費=コスト」という認識くらいと捉えているイメージは今でも拭えないように思う昨今、「人は財産になり得る」というイメージを強く抱き発信していくくらいの活動を伴っていった方が今後のためになるのかなっていう風に考えています。現実はそうも行かない状況はなかなか動いてくれはしませんが…。

ここしばらく多忙を極めているにもかかわらずクラウドソーシングにご熱心なのは…収入的な問題を多く抱えているというのもあるのですが、雇用主たる会社がいつ傾くかわからないという現状がわりと日常のように転がっているという認識のもとにあります。仕事の些細なトラブルが会社運営の大黒柱を損傷する…というのが昨今のネットメディアなどで知れてきたことにも端を発しています、炎上案件1件で企業の信用が燃え尽きる…なんてことはもはや共通認識。会社と共に人生が沈む可能性が伴い続けているという現状社会に不安を抱き続けている以上、「逃げ道」というカタチではあれサイドワークや副収入源については考えていかなくてはならない…割と急務だと考えています。

出来る事は何でもするくらいのことが必要…可能であればそこまで仕事に熱量を割く必要は無い、そうあって欲しいのですが。社会を変えるほどのエネルギーが不足している以上、個人単位での防衛策のような施策は必要だと思う次第。ひいては個人スキルの向上や人脈形成、社会学習やらなにやら…苦労と疲労は伴うにしても、得るものも多いと思うのです。

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疲弊する社会について考える機会は劇的に増えてきました。「燃え上がる社会」と表現するにはいささか方向性が違うようにも感じますが、昨今はネットで「炎上する社会」でもあり…社会はどこまでも火遊びにご執心の様子がうかがえます。そんな「火消し技術」のような処世術はあるに越したことはないのですが、重度の疲弊を伴う技術を「使わずに済む環境」の方が求められているのかもしれません。昨今クラウドソーシングにご熱心な理由ですが、会社勤めの限界値が見えてきてしまったというのが大きいです。それに対しての技術力や交渉力はまだまだ低い現状を抱えてはいますが、現状から飛び出してでも環境を変えていかなくてはならない「現状」がありまして。

仕事に高い技量は必要ですが、それ以上に「高い処世術」が必要。ネット社会の荒海で生き抜くためにも、その水準下にて戦うための技術やら何やらを会得しなくてはならない。会社勤めがキツくても会社勤めの今のうちにその技術やら何やらを片っ端から会得しなくてはならない。会社の歯車で終わりたくはないから。

努力が「報われる努力」が必要という話

努力が報われる人と、報われない人がいる。確実にそこには大きな壁のようなものがある。闇雲な努力は誰の目にも触れずに消えていくという話を聞く機会は増えたし、そこそこ程度の努力でも大躍進を果たしたという話も聞く機会は増えた…つまり、努力には「方向性の問題」が確実に存在すると考えるようになり、「努力の努力」もまた必要…という考えに行き着くようになりました。よって、「アピールの重要性」にはとても大きな意味があると考えるようにもなりました。「大声を出す意味」というか何というか、広告を打つ意味のようなものを意識する機会は増えました。

アピールの重要性については、アフィリエイトを学んだ際に色々と研究する機会がありました。「嫌みにならない広告」というのは本当に難しい、上手いアピールがないと人の目に意思は伝わらない、「届かない努力は何もないに等しい」という現実問題…など。広告学はまだ実りを伴ってはいませんが、情報発信に関わる「処世術」のような基礎を学ぶきっかけになりました。大切なのは「伝えること」。すべての努力が均等に報われるのであれば社会はもっと円滑に回っているはず、現実は「努力上手な人の努力のみが報われている」という話。

ただ、難解なのは…この理屈に沿ったアピールというものには「マニュアルが存在しない」ということ。人の印象から技術、何が出来て何に貢献できるかというプレゼンテーションは多岐多様にわたり、テンプレのようなものが不確定すぎて上手く構築が出来ないというのが難点。

ここでクラウドソーシングにご熱心な理由のひとつが出てくるのですが、「経歴作り」「人脈作り」というのが大きな要因のひとつです。動かぬ経歴とネームバリューがあれば…少なくとも仕事獲得のためのプレゼンテーションを簡略化出来る。それは意外と膨大なエネルギーの節約に繋がる…と考えているからです。この二つの要素は単純に信用情報にも接続している部分なので…とにかく大事にしたい。

「学ぶことを止めたら死んでしまう」

このフレーズは口癖のように書いていますが、人生は生涯学習というのが私の現時点での考え方です。脳の老朽化にも繋がるし、人生観が浅くなりつまらないものになってしまう…かどうかはわかりませんが、学ばないリスクについては意識しておく必要があると考えています。なので、人生で起きたことについて知る機会があれば温故知新に触れるようにしています。

もちろん、知って損したことや後悔を伴ったこともあるけれど。少なくとも全く知らない事によって被るであろう甚大なダメージを回避することはできたのではないか…と考えています。必ずしもそうとも限らないかもしれませんが、そういう意識を持つことにより「精神的な余裕を持つ」ことは出来たように思います。金銭的な損失は結構出したという認識はありますし、わりと大きなトラブルに見舞われたことも複数会ありましたが…何だかんだでいまこうやってブログの記事を書ける状態である、というのがとても大事なことだと思ってます。生きているからラッキー、という感覚でしょうか?

トラブル対応や失敗談は、今後の人生に於ける「ワクチン」になると認識しています。失敗を糧にするというのはそういうことなんじゃないかな? と思う次第。

自分の言葉と、自分の判断と決断

多くの失敗談を抱えてきた自分の人生ですが、すべては自分の中で判断して下した決断でしたので…納得のいかない部分も多数ありますが、今後のことも含めて何とかしていこうと考えています。どうしても納得出来ずにモヤモヤする部分も多数ありますし、白黒つけて色々明白にしていく必要のある案件もありますが…やっぱり自分の決断に起因するものなので、何とかして落ち着きどころを見つけていかなきゃいけないなって思っています。ムズカシイですが。

仕事以外にも趣味や私事で色々ありました、仕事が圧倒的に多かったですが。ただ、ウン十年生きてきたうえでその経験は色々カタチを変えて役に立ってきたように思います。当時は色々悩み、苦痛やら後悔やらいろいろあったのですが…時間の経過と共に落ち着いて思慮することが出来るようになりました。判断ミスやら決断の錯誤についてはおそらく死ぬまで後悔するであろうことがいくつも出てくるだろう話ですが、今後のためにはなると思います。今後のために出来ない失敗が一番キツいと思うので。そういう意味では私の人生はそこそこラッキーだったのではないか? と考えるようにしています。

読書レビューのアフィリエイトはおかげさまで、低いページビューなりにも成果が出るようになりました。やはり人生経験から出る語彙力のバリエーションの多岐化は何だかんだでチカラになっていると思う次第です。

 

そんなこんなで色々あっていますが、最近は少しずついろんな方面での仕事が進むようになりました。大きな収入やら大きな人生観の変革には至ってはいませんが、ほんの少し刺激のある日々が送れるようになったと思っています。特にネット経由の仕事はリスキー部分も複数ありますが…結構やりがいもあります。これでもうちょっとイロがつけば、と思う機会はありますが。

極端な話でまとめ上げると…固定観念は文字通り「自身の固着化」だと思うようになりました。説明がムズカシイのですが…インターネットというグローバル社会に紐付いた世界にいる以上、多種多様にあふれた価値観の存在について考える必要があり、その価値観に沿った生き方がなんとしても必要になってくる…とでも言いましょうか? 価値観はもっと柔らかく変動するもの…と考えた方が身動きが取りやすくなるというか何というか、柔軟な発想と行動がこれからは必要なんじゃないかなって。働き方改革の根底は固定観念の破壊なのかもしれないなって。

これで、金回りの悪い社会観も破壊できれば…っていうのは、オチとしてでなく実際に考えておきたいこれからの課題。

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