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ソーシャルメディアを中心に「共感探し」の流れが強くなってきているように思う昨今、多くのSNS界隈は共感を得るために奔走している感も感じてしまう今日この頃ですが…過度な共感探し合戦によって疲弊しているのではないか? と変な疑問符を抱きつつも、今日も色々な「共感ショー」を閲覧している感じで過ごしています。共感は必要と感じつつも飽食気味な昨今で、ちょっとSNS疲れな状態が続いていたりします。

共感について思うフシは多々あれど、昨今は自分自身自粛気味に色々やっています。多分どこかで「共感疲れ」みたいなものに不思議な違和感を感じながら過ごしている部分ってやはりあると思うし、そもそもそれによって目標や目的が色々すり替わっているような感じなのかもしれないし。ここに来て過熱著しい共感メディアは少しだけ静観していたいという気持ちになってきています。

日々いろいろな発見を求めブログメディアをあちこち覗いてはいるものの、何となく「コレジャナイ感」が出てきた自分自身の内面部分が待ったをかけている状態。この違和感は何だろう?? ちょっと気になってきました。

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今でもブログの根底には「共感メディア」というイメージがこびりついていますが…ちょっと色々なことがあった課程で「本当にそれを求めているのか?」という疑念を抱いたのがきっかけです。共感は人を選ぶし、相容れない人も居る。万人向けの共感は意外と少なくて、その共感シェアはある種の攻撃行為にすり替わってないか? などなど…共感にまつわる「既存の常識」が色々変更・更新されたこともあって、今は…もっと前のスタンスである「私はこれがいいけど、読者さんはどうでしょう?」という「問いかけ方式」に少しだけ切り替えて居ます。それでも相容れない人は少なからず居ると思うし、思想的に相容れない場合もあると思うけど…。

それを意識するようになったのは、昨今のテレビメディアやネットメディア各種での発言のいろいろなベクトル感に触れてみて思ったこと。偏向報道や押しつけメディアになってしまった昨今のメディア感にまつわる色々なイメージの変化は…今までの感覚や価値観に疑問符を投げかける結果になってしまい、結果として「良かれと思ってやってきたことは本当に良いことだったのか?」というところに落ち着いてしまいました。現実はムズカシイ。

共感の「押しつけ」との境界線

感じたのは、誰しもが「これは共感できる」と「信じて疑わない」事かなって思っています。この記事も、このブログも、中の人の書いてきたいろいろな事柄やらいろいろはすべて自分の中の「共感の意識」に沿って書かれていて、なおかつその記事やら何やらは「共感が得られると信じて疑わない状態で書き綴られている」ということ。もっとやわらかく書ければ良いのですが、世の中はエッジの効いた書き口の記事の方が多い印象です。

良いことばかりじゃない、というのは認識していても言葉にするのがムズカシイ部分だなって。ただ、押し殺せば良いというわけではないと思っているので、言葉を選びつつ発言の趣旨は変えることなく…というのが出来ればそういう路線をなんとか維持できないかと思う次第です。ものすごく難しいことですが、発言を止めてしまうことはそれはそれで問題のあることだと考えています。提起すること、問いかけることは非常に大事なことだという認識は変わりません。

ただ、前提とする環境や条件は色々と選択していかなくてはならない…ということ。

キャッチボールの難しさ、それでもやめない意義

昨今、SNS界隈ではコミュニケーション崩壊にも似た「会話不成立なやりとり」が多発していると聞いたことがあります。しかし、多くの人はSNSを離れようとしない…社会的に繋がっていないと、というなかなかややこしい部分でもありますが…それでもそこに色々な投稿をやめないのは、惰性の部分もあるとは思うものの、やはりそこに何かしらの意義があると感じているからだと考えています。…というか、そうであって欲しいという願望部分でもありますが。

理想はやはり、円滑な環境。しかし、急速に進んだ多様化の流れは予想よりも激流であり、結果として多様化に追いつけない層を多数作ってしまったと言わざるを得ない状況。しかし、だからといってそこを切り離すことは至極困難な話であり、解決の放棄そのものにもなりかねないというアレな話。やめる勇気も必要な昨今に於ける「やめない努力」の部分だと思う次第です、伝えていく努力というものは。

共感の持論を展開して、支離滅裂な問いかけで返されると…色々と困惑してしまいますが。実際にそういう話がいくらでもあるという現実があって…問いかけに対する色々なものが錯綜している感じがうかがえます。この中には「理解する努力を放棄した層」も含まれている都合上で色々解決困難な部分を多数内包していますが、解決の努力は一定数必要経費として投入する必要はあるわけで…世の中は色々な理不尽から出来ていると思うと病んでしまいそうですが。

それでもやめない努力、それが必要か否かの判断は難しすぎる問題ではあるけれど。

 

色々と考えてみたところ、何だかんだで現状維持しつつ…という話に落ち着くしかなかったという話ですが。時々休息をしっかり取って、スパンを長くして取り組んでいくしかない…というカタチに落ち着いている状態です。勇気を持って切り捨てる事も、敢えて現状を維持する努力も…必要なことで、それについて考え吟味することはもっと必要なことという感じでしょうか。理屈がかみ合わなくても向き合わなくてはならない…という矛盾じみた無理問答ですが。

結局のところ、ブログもやめないし。活動も細くながらも維持するつもりだし。

アイデンティティに振り回される部分ではあるものの、現状維持に少し細かい修正を入れる程度で頑張っていく事に変わりは無い予定です。書いていきたい事はたくさんあるし、やっぱり芯の通った部分は変更したくないし。問いかける行為をやめたくはない、その気持ちに変更は無いわけだし。少しだけ、辞書や語学について学ぶ機会が増えそうという…そんな話みたいだったという感じだったので。

なにより、こういうブログ記事を通して学ぶ機会になる事が結構あって、ブログをやめることの方が勿体ないことだなっていう認識に落ち着けたことがちょっとした発見だったりして。

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